アラセブ男

社会の話、テレビの話、野球の話、昭和の話とか。

野球がない春は、桜が咲かない春のようだ

2018年に、巨人の坂本隼人選手がシーズン終盤で1700本安打を打った時に、2000本安打をいつ打つのだろうか、予想を立てた。
残りあと300本だから、このままのペースだと2020年の東京オリンピックの頃に達成するだろうと思った。調べると、当時東京オリオンズ榎本喜八が31歳7か月+16日で達成していることがわかった。坂本は12月14日生まれだから7月29日までに達成すれば、2000本安打達成の最年少記録となる。

2019年もそんな想いでプロ野球を見ていた。坂本は2番バッターとしてヒットを(本塁打も!)打ち続けた。マスコミも次第に坂本が2000本安打をいつ打つか予想を始めるようになった(私はもうとっくに計算していると、一人で自慢していた)。坂本の通算安打数は2018年終了時に1711本、2019年終了時に1884本になっていた。

f:id:mynanajiji:20200408003123j:plain

坂本勇人選手(巨人)の年度別打撃成績(日本野球機構ホームページより)

2020年の開幕は3月20日だった。東京オリンピックがあり、例年より1週間から10日早い開幕である。2000本まで残り116本。計算すると、95試合前後。オールスター前の7月15日頃には達成できるだろうと思った。
2000本を打つと、次の目標は3000本安打になる。いや、一気に張本勲の3085本を目標にしても良い。2020年は162本打つとして、通算2046安打。残り、年平均130本ペースで8年。40歳になる2028年に3086安打を達成し、張本の記録を抜き、引退。そこまでのストーリーを勝手に考えていた。坂本が身体に故障を発生しない限り、この予想は容易に現実になるだろうと思った。しかし、予想もつかないことが起き、私が描いたストーリーは夢物語になった。

新型コロナウイルス(以下コロナ)によって、本年の3月20日の開幕が延期されたのだ。その後、4月10日、4月24日に開幕日が延期され、ついに5月以降の開幕日を設定できない状況に陥ってしまった。緊急事態宣言が出される現状においては、6月開幕も怪しい。2020年に開幕できたとしても、後期になるのではないかと思う。試合数も大幅に減少する。

つまり、8月開幕。15週間で各75試合(1週間5試合)を行い、11月半ばに終了。11月20日頃に日本シリーズ。この流れになるのではないかと思う。むろん、交流戦も、オールスターも、もともと訳の分からぬクライマックスの試合もなしだ。これは希望的観測でしかない。今シーズンは全試合中止の場合もあり得る。

それならそれで致し方ないが、今シーズンの中止が決まり、仮にコロナ感染が峠を越えて秋に小康状態になっていた場合は、10月から11月にかけて、賞金総額10億円をかけたトーナメントの試合をしてほしい。プロ野球12球団だけでもよいが、ここは盛り上がりを考えて、「12球団の一軍」と「12球団のファーム」「地方リーグの代表4チーム」「社会人野球の代表4チーム」「大学野球の代表2チーム」「高校野球の代表2チーム」が一同に参加する大トーナメント大会を開催してもらいたいのだ。(社会人、大学、高校の出場は、予選会が難しいので、強豪チームの推薦または選手の選抜という形式でも構わない)

私はサッカーの天皇杯のように(都道府県の代表になれば)高校生からプロまで参加できる大会を素晴らしいと思っている。野球界でもプロ・アマが一堂に参加できる大会があっても良い。最初にそう思ったのは、江川卓作新学院のときだ。江川が連投をいとわず本気を出したらプロにも勝ち続け、作新学院は優勝できるのではないかと妄想したものである。むろん、本気になったプロのピッチャーを高校生は打てないだろうから、試合の決着は、1対0で負ける可能性は高いが、夢がある。その夢を、プロ・アマ参加の大トーナメント大会の実施でぜひ実現してもらいたいのである。

今は春だ。手足を思い切り伸ばして、うららかな陽ざしのなかへ飛び出し、みんながそれぞれの「新しい希望」を感じとろうという季節だ。プロ野球ファンはご贔屓チームの開幕ダッシュがうまいくいったか否かで、一喜一憂している頃だ。

しかし、今年の春は、野球がない。毎日がつまらないのである。♪何もない春です~なのである。
スポーツ新聞もネタがなくて困っているようで、プロ野球関連の興味深い記事がなくなった。ネタの使いまわしなのか、取材に行けないのか、同じような内容の記事が多い気がする。

2020年の春にあるのはコロナと、どんよりとした閉塞感だけだ。

こんな春はなかった。プロ野球ファンとして、長年、培ってきた一年の生活サイクルが壊れかけている。開幕ゲーム、4月、5月、6月、7月の試合、オールスタゲーム、8月、9月、10月の試合、セ・パの優勝決定(クライマックスには全く馴染んでいないのでスルー)、日本シリーズ、オフシーズン、キャンプ・・・。そういうサイクルと共にずっと生きてきたので、野球がない春に心身が混乱している。

記録に挑む坂本にとっても単なる1シーズンの開幕延期・中止ではないはずだ。2000本安打の最年少記録どころか、今年中に達成できるかどうかも微妙になってきた。40歳の年に張本の3085安打を抜いて引退。という私の勝手な妄想プランも実現が難しくなってきた。記録と戦う坂本にとっても、コロナに奪われたこの一年の哀しみは大きい。

桜の花見に集まる人々に自粛の要請があったが、自粛はまだ幸せだ。遠くからでも、テレビやネットの画面からでも、桜を見ることができるのだから。

春なのに、プロ野球という華は、日本のどこにも咲いていない。

ああ、プレイボールの春が恋しいなあ。

 

テレビ局なのに、そんなに罰則や強制を望んで良いのか

コロナの「緊急事態宣言」を早く出せと、テレビのキャスターも、コメンテーターも、タレントも、街頭の人も騒いでいる。
北海道の鈴木知事は2月末に、自ら「緊急事態宣言」を出し、道民に自粛を呼びかけた。その効果もあってか、爆発的な感染者の増加は目下のところ免れている。
その2月末の時点で、人口の多い東京がこんなに少ないのはおかしいと指摘されていたが、東京の小池知事はコロナの件でなかなかマスコミの前に現れなかった。小池知事が登場したのは五輪の延期が決まってからである。そのころから東京の感染者も増え始め、北海道の感染者数をあっという間に抜き去った。いまや日本のコロナは、東京のコロナになった感じさえする。マスコミの報道もそうで、地方のコロナは扱われなくなりつつある。

小池知事はいかにもお役所言葉の「3密を守ろう」と言い出し(3密ってなんだ?近い距離で話すな。換気の悪いところへ行くな。人が集まるところへ行くな。のストレートな表現の方がわかりやすいと思うのだが)、都民や近県から集まって来る者に自粛を呼びかけた。

しかし、自粛には従わず、「おれには関係ないから」とか、「わたしはうつらないと思う」とか言って、街頭インタビューに答える愚かなものたちがいる。中でも驚いたのは、「罰を与えるとか、強制とかだったら従う」という声だ。

これは、街ゆく若者だけではない。

テレビの情報番組を見ていると、「緊急事態宣言」を早く出せという意見が多くなってきた。これに対し、安倍政権・自民党寄りのコメンテーターが「緊急事態宣言を出しても強制力がないので、自粛の要請になってしまう。出しても、そう効果がないんです」と言う。すると、局アナやキャスターが「罰則を与えるべきだ」と言い出した。言うことを聞かない者には罰を与えろと言うのだ。

マスコミに携わっている人が、こう簡単に「罰を与えろ、強制にしろ」と言い始めたことに、私は怖さを感じる。テレビを視聴している人々に、「罰や強制」に対する共感・同感を流布することになりかねない。コメンテーターが自分の意見として発言するならよいが、番組を進行するキャスターやテレビ局のアナウンサーは言ってはいけない言葉であると思う。安倍政権と、その得体のしれないバックにいる者たちの、望み通りの思惑に加担しているように思えてならない。

安倍政権は、今、「罰則・強制」を望むそれらの声を拒否している。(まあ、自由を許すというより補償問題や経済への影響のことを考えてのことだとは思うが)

今は国家的な危機である。「戦争」「戦時下」と例える、海外の政治家も多い。

国家の危機の前に個人の尊厳や自由がある程度奪われるのは致し方ない。コロナの感染を防ぐためには自由の制限が必要になってくるだろう。しかし、政権側ではなく、マスコミや国民側から、「自粛の自由はいりません。罰を与え強制にしてください」というのは、どうも愚かしく奇妙に思えてならないのである。

では、どうするか。それは、日本のリーダーである安倍首相のスピーチ力にかかっている。いまこの時こそが己の評価を上げる見せどころ、聞かせどころなのである。政治のリーダーが日本人ひとりひとりの琴線にふれるような言葉を発信できれば、より多くの愚かなものたちを従わせることができるだろう。「罰則も、強制も」必要ない。今こそ、政治家としてのリーダーシップが必要なのである。しかし、「皆さん、一緒に戦いましょう。コロナとの戦いに、勝ちましょう!」と、書き言葉じゃなく話し言葉で国民に熱く喚起してくればよいのだが、阿部ちゃんはすぐ原稿を読んじゃうからな・・・。


日本人は、幸か不幸か、「災害」に鍛えられている。パニックにはそう簡単に陥らない。礼節・礼儀・忠義があり、人を助け、リーダーや社会に従う心を持っている。私は、いざという時の、日本人を信じたい。

そもそも、テレビが面白ければ、人々はこの時期にそう出歩かない。「罰則だ」「強制だ」などと声高に叫ばず、テレビ局には若者が出歩くのを止めるような、コロナをぶっ飛ばす面白い番組をつくってほしいものである。

カラスの勝手が、なんか悲しく響く

志村が死んだ。コロナで死んだ。
荒井注の代わりに、志村が初めてザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」に出た日の番組を憶えている。

志村の登場により、ドリフターズは若返った。

やがて、志村が「東村山音頭」で個性を発揮し始める。
番組の面白さが増し、「8時だヨ!全員集合」は国民的な番組となった。

それより以前は、クレージーキャッツが面白かった。「シャボン玉ホリデー」に代表される、音楽的な要素のあるお洒落な面白さは、どこかカッコ良かった。
そのクレージーに次いで面白いと思ったのが、コント55号である。コント漫才で、これも、初めて見たときに「なんだ、これは!」って思った。

中央にマイクがあるのだが、彼らは中央に立たない。舞台の上で縦横無尽に動き回り、欽ちゃん走りや飛び蹴り的なこともしていた。二郎さんは欽ちゃんより年上だったので、動くたびに、「はーはー、ぜーぜー」と喘いでいた。それも面白かった。

欽ちゃんのこの動きによって「ピンマイク」が誕生したとか言われているが、納得できる。

このコント55号の番組で記憶にあるのは、「裏番組をぶっ飛ばせ!」の中の野球拳コーナーだ。公開番組で、二郎さんと女性が野球拳の踊りと共にじゃんけんをし、負けたら、一枚ずつ脱いでいくもの(脱いだものはチャリティオークション)。ブラジャーやパンティーの下着姿(タオルで身体を隠し、全部脱ぎましたというポーズもあった)や水着姿になったタレントは何人かいた。
十代の頃だったから女性が脱ぐたびに興奮をした。
こういう番組を、祖父母や両親と共に日常の中で普通に視ていた。良い時代だった。

この無敵のコント55号(フジ系列の「世界は笑う」)を、視聴率で抜いていったのが、ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」である。(この抜くという図式はテレビ全盛時代ならではのもので、高視聴率が続いていた「木枯し紋次郎」を必殺シリーズの先駆けとなる「仕掛人・藤枝梅安」が視聴率で抜いていった醍醐味に通じる)

しかし、ザ・ドリフターズも、1980年代に入り、裏番組に抜かれていくのである。

土曜夜8時、僕の番組チョイスはTBS系からフジ系になった。
「俺たちひょうきん族」。ビートたけし、さんま、紳助、鶴太郎、山田邦子・・・。彼らはドリフターズよりも、若く、新しかった。

ただ、年齢が若いというのであれば、ドリフターズも彼らに勝てたであろうが、彼らは新しかった。

その後に登場した、とんねるずも、ダウンタウンも、新しかった。(タモリは異端だった)

新しければ、時代を変えることができるし、先頭に立つことができる。

しかし、残念なことに、今のテレビを見ると、時代をひっさげる「笑い」の芸能史は終わってしまったように思う。

仲間内の失笑芸、面白くもない一発芸、才能のない小粒芸人の氾濫・・・
時代の先頭に、新しい「笑いの王様」がいない時代は、非常につまらない。

芸人も高齢化社会なのか、「王様」は、まだ、80年代に活躍した人が君臨している。

志村けんが、登場した1970年代。クレイジーキャッツコント55号ドリフターズがいた。関西では桂三枝と、やすしきよしが若者の番組で大受けしていた。(桂三枝の「ヤングOU!OH!」を見ていたら、小林繁の投球フォームを真似する若手芸人が登場した。芸は未熟だったが、醸す雰囲気が最初から面白かった。明石家さんまという名前は、どうだろうとは思ったが・・・)
タモリは福岡の喫茶店の雇われマスターで、ビートたけしは浅草のストリップ劇場にいた。高校生だった石橋と木梨は個別に「TVジョッキー」の素人奇人変人コーナーに登場し、竹中直人の後に続いた。

そういう時代に、志村は登場したのだ。子供達も、みんなテレビが大好きだった。


今後、しばらく、テレビやネット動画で志村けん追悼の名場面集の番組があるだろう。

ぜひ、笑って、笑って、故人を偲びたいと思う。


カ~ラ~ス なぜ鳴くの~ カラスの勝手でしょぉ~

なんか、悲しく、響く。

合掌